2015年03月04日

飢餓列島17

長谷川が共同体を作ってから1年半が経っていました。今や800人以上を擁するようになった共同体は、表向きは7人の実行委員が管理する形で、実質的にはその中の一人である長谷川がリーダーとして運営していました。長谷川としては独裁の方がやりやすいのですが、西日本商事で彼よりも上位にいた社員達を、形だけでも上に頂いて統制するならばこのような委員会制にするしかないのです。彼は郵便受けに何か紙片が入っているのを認めました。紙片には、「きみたちの共同体はインチキだ!」という見出しに続いて、あなたたちの労力は無駄遣いされています、とか、意味のない争いはやめて、みんなと手を繋ぎましょう、とか、このままではあなたたちは飢え死してしまいます、というようなことが紙一面に擦られていました。発行所はいつものように「南紀政府」となっています。南紀政府とは、いま勢力を伸ばしつつある一種の独立国家です。こうした独立国家は南紀政府だけでなく、1年半前のあの騒乱で日本政府の機能がストップしたことで、日本各地に発生していました。

このところ、この種の印刷物が、しょっちゅう各戸に放り込まれています。それはつまり、この共同体にも南紀政府に通じているものがたくさんいることを意味しています。ちゃんとした組織を持ち版図を広げ、仲間にはそれ相応の待遇をすると言っている南紀政府の方に関心を寄せる連中も下部構成員に多いといいます。長谷川とその直属の部下たちは、共同体の人々が扇動に乗せられることを恐れていました。扇動者たちの実態がなんであるか承知していたからです。彼ら南紀政府の前身は、あの新免猛教授に率いられた殺人集団なのです。現在では人食いを強制することもなく、もっともらしい体裁を整えて支配下にある土地や人々を治めているようですが、元をただせば凶暴さで版図を広げただけの「外道」です。だからこそ彼らが何を言おうと、長谷川には信じられなかったし、共同体の人々にも扇動に乗ってはならないと布告を出して、それを徹底させようとしました。

近隣の共同体が次々と南紀政府に吸収されていく中で、長谷川たちの西日本商事第7地区共同体はよく頑張っていました。南紀政府の軍隊に対抗するために防衛隊を作って訓練し、かつ、切り出した木材を新宮に運び出して、他の物資と交換したり、育ちそうな植物の種子をまいたりしながら、水耕栽培や礫耕栽培によって、この地に適した品種を生み出す研究も続けていたのです。それを為せたのは長谷川の指揮だけでなく、海老名や、先にここに到着した部下たちがよく応えてくれたからでした。しかし、それでも自給自足とはおよそかけ離れた不安定な状態であり、それを見透かした上での帰順勧告なのです。長谷川が目を上げると、共同体の風景が映りました。やはり続けるほかはない。ここが自分の世界なのである。ここにしか、自分の生きる場所はないのだ。長谷川は時計を見ました。そろそろ早朝委員会が始まる時刻だ。頑張り続けるほかはない。彼は共同体の制服に着替え、愛用の登山ナイフを吊ると階段を下りました。

「腰の武器を外してください」センターの玄関に差し掛かった時、彼は3人の職員に制止されました。「これはどういうことだ?」「我々は南紀政府に帰順することにしたんです。これは共同体成員の総意です」「ほかの実行委員も逮捕されました。会議室に集められていますからあなたも行ってください」これはクーデターでした。会議室に向かうと、6人の実行委員たちが青白い顔で立っていました。いずれも、西日本商事では長谷川よりも上席の社員だった人々です。「長谷川くんこれはどういうことだ!」「責任をとりたまえ!責任を!」長谷川は返事をせずに、窓際に立っていると、あとから新免猛率いる精鋭部隊が入ってきました。新免は長谷川を残して残りの委員たちを屋外に連行し銃殺するよう命令し、そして彼には第7共同体が敗北した理由を教えます。それは企業が作った共同体であるがゆえに、共同体の成員が元の生活への妄念を捨て去ることができなかったからだというのです。南紀政府は今のような時代を見越して作られたグループであり、出発点からすでに差があったことを長谷川は理解します。新免は微笑んでいました。長谷川をこの場に残しておいたのは彼に敗北感を味あわせるためだったからです。そして彼もまた、柱に括り付けられ銃殺されるのでした。

南紀政府は生き残ることを大前提とし、時代にそぐわない価値観やモラルを徹底的に排除しました。物事を成功させる要因は、彼らのようにどれだけ真剣に最悪を想定できたかによります。千光寺も三輪も西日本商事も一時的な危機をしのぐという甘い想定のなかで共同体を作ったために攻め滅ぼされてしまいました。意識の違いから見てこの結果は必然なのです。
タグ:飢餓列島
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2015年03月01日

飢餓列島16

君たちは、今、昨日新宮地区の共同体に交渉に行った野村の報告を聞いた。彼らは我々との同盟を拒絶した」地区委員会本部で長谷川がしゃべっていました。本部は、共同体のセンターとして急増された二階建てのプレハブ建築で、今そこのホールにはこの共同体を構成するメンバーたちのうち100人余りの男女が集まっていました。長谷川は語り続けてました。南紀一帯の海岸にもいくつか共同体があり、彼らは北山川沿いの新免軍団と自分たちを同一視しているため、現在挟み撃ちにあっている状態で非常に危険だということ。しかし、現在日本全体で起こっているこの動乱は一時的な現象であり、互いに助け合い、生き抜いていかなければならないということ。

根上は長谷川に気付かれずにホールを抜け出し、自分の宿に戻って荷物をとると、熊野川とは反対の方角へ雪に覆われた斜面を登り始めました。彼は紀伊山中に入って、吉野の里のまで出ようと考えていました。距離にして150キロですが、そんなことはどうでもよく、ただ自由になりたかったのです。なんの希望もないくせに、あたかも明るい将来が、やがて開けてくる、もうすぐ見えてくると自分自身にいい聞かせ、それを真実と錯覚してメンバーたちに語って聞かせる、長谷川や共同体の幹部たち。この異常な、冷酷非常な状況の中でも、まだ企業意識に似た前向きな姿勢で人々を引っ張っていけると思い込んでいる彼らの、不死身と言ってもいい精神がうっとうしかったのです。

確かに秩序は必ず何らかの方法で回復され、国家の権威が共同体を解体するだろう。だが自然の猛威そのものはおそらくまだほんの序の口を見せただけなのだ。人間社会がパニックに陥ろうが、そこから回復しようが御構い無しにそれは進行していき、人間活動の可能な領域を狭めていく。そうなれば弱いところから崩壊していくことも確実だ。おそらくこの共同体は、武装集団の攻撃か、寒さか、上でこの春までに崩壊する。どうせそうなる運命ならば、思い切って独立で最後の一日まで生き切ってしまう方がいい。根上は野村たちの車が新今宮から追い返されたとき、そう決意していました。途中で凍死するか餓死するのが関の山でしょう。あるいはもっと早く、新免軍団のパトロールに発見されて殺されるかもしれません。ですが山越えを成功させることは初めから目的ではなく、自分の意思で行動を起こすこと、それだけが目的でした。

出発から3時間経った頃、何者かが尾行している気配を感じました。何者だろう?もし共同体のメンバーが追っているのであるなら呼び止めるはずです。危惧していた新免軍団のパトロールならいつ襲われるともわかりません。天気は急速に悪化していました。雪が激しくなって、視界が利かなくなってきました。彼は思い切って県道に出ることにしました。しばらく行くと、右手に熊野川の支流の一つが見えてきたと思うと急に接近してきて道を遮り、そこに80メートルほどの細い吊り橋がかかっているのが見えました。風で大きく左右に揺れる両手でしっかりとワイヤーケーブルを掴んで5、60メートル進んだとき、尾行者が吊り橋のたもとに現れました。「根上さん…要吉さん…待って!私も連れて行って!」美子のものらしき声が聞こえました。根上は美子のところまで急ぎ足で戻って行きました。「なぜ追ってきた?」根上は怒鳴るように言いました。「ぼくについてくれば、おそらく死ぬぞ」「それでもいい。要吉さん…私…私をあげたい」烈風がふと小凪なって吊り橋が安定しました。それをしおに、根上は美子の腰に左腕を回し右腕でワイヤーを掴むと、前進し始めました。白く渦巻く吹雪の中に、二人の姿は消えていきました。

長谷川の話は必ずしも荒唐無稽というものではないので共同体にとどまっていた方が、根上にとっては自殺同然の脱走より生存率はずっと高いです。過酷な状況で生き残るには、プラス思考が必須で、時にある意味バカにならなければいけない部分もあります。結局ニヒリストの根上にはそれがどうしてもできなかったようです。
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2015年02月28日

飢餓列島15

戸外ではまたみぞれが降り始め、風が鳴っていました。根上たちは長谷川たちの「第7地区共同体」に第1前哨として加わり、割り当てられた廃屋で他のものたちと過ごしていました。「リーダーに聞いたんだが、あんたがたが目指してきた那智の廃鉱にはだいぶ食料の貯蔵があったんだって」一人が根上たちに声をかけました。「惜しかったな、もう少し早く行ってりゃ、缶詰の2箱や3箱は持ってこれたろうに」また一人が未練げに言いました。「いや、例の人食い共に目をつけられていたんだ。かりに少しばかり手に入れても奴らに皆殺しにされていたに決まっている」また一人が、半ば捨て鉢な口調で言いました。「まあ全く、あんたがたにとってはえらい骨折り損だったわけだ。こんな時のためにせっせと溜め込んでおいたものが、まるきりパアになったんだからな」嘲弄めいた口調になりました。(またかー)根上は眉をしかめました。彼らの仲間入りをしてから、もう1週間の余が経っていました。

「東京はどうなったかしら?」不意に美子がつぶやくように言いました。根上はかすかに肩をすくめるだけでした。電話もテレビもラジオも役に立たない状況で、東京との連絡あれ以来、まったく途絶えていました。今日本中では、おそらく激しい凶暴な動乱が起こりつつあり、東京は騒乱の中心として修羅の巷とかしているのだろう。情報がないからなんとも想像はつかないが、三輪邸は意外にあっけなく暴徒か軍隊の手におちて、メンバーたちは無残な屍体と化しているのかも。根上はそんなことを考えていました。

美子が耳を澄ましました。次の瞬間、彼女はいきなり、立て切ってあった入り口の板戸に両手をかけて開けようとしました。板戸がきしりながらわずかに開くと、どっとみぞれが降り込んできました。「なんだ、どこへ行くんだ?」見張りの男が喚きました。「夕方新宮に行った車が帰ってきたんだわ。あのヘッドライトを見て」降りしきるみぞれの中、十数メートルのところに1台のライトバンが止まって、ヘッドライトを点滅させていました。それは、この共同体のメンバー同士が相手を確認し合うときに決めた合図でした。根上はポケットから懐中電灯を出すと、車に向かって同じ信号を送りました。ライトバンはのろのろと動き出しました。近づくにつれて、車体のあちこちに弾痕があるのが見えてきました。

「荷台に二人、怪我人がいる」運転手が助け降ろされながら言いました。後部ドアを開けると二人の男が横たわっていました。一人は腕が、もう一人は全身が血まみれでした。根上たちは、負傷者たちを家の中に担ぎ込んで応急処置をしましたが、そのうち一人はもう虫の息でした。根上は運転手が野村だったことに気づきました。「どうしたというんだ?」「リーダーの命令で新宮の連中と同盟を結ぶ話し合いをしに行った。だが話にもならなかった。武装した自警団が俺たちを見るなり発砲してきた。俺たちを山の人食いだと思い込んでいて、いくら違うと怒鳴っても無駄だった。全員殺されずに、逃げて帰ってこれたのが不思議なくらいだよ」「こっち人は?」美子が瀕死の男を覗き込むようにして言いました。野村が男を見て痛ましげな顔をしました。「東京のお邸にいたメンバーの一人ですよ、お嬢さん。新宮に流れ込んできた難民たちの中に混じっていたんだ。自警団との撃ち合いの最中に俺たちのところに来ようとして、撃たれた」

美子は男に近々と頬を寄せました。「教えて。東京の屋敷はどうなったの。父は?」男は何か言おうとしてむせました。口から血の泡を吹き出したのを、美子がハンカチで拭き取ってやります。「会長は…死に…ました」美子は訊き返しました。「ころされたの?」男はゆっくり首を振りました。「衰弱…なさって」「他の人たちは?」「邸が…爆発を起こして…みんな…散り散りに…ほとんど…殺されました」「でも逃げられた人もいるのね?あなたのように?」男の目に突然異様な光が宿ったようでした。「石光…俺たちを見捨てて…ちくしょう」その怨念にエネルギーを燃焼し尽くしたのか、男はがっくりと首を垂れて動かなくなりました。根上は、美子たちのそばに近寄ると、男の遺骸を両手に抱き上げ、無言で入り口へ運んで行きました。「埋めるから手伝ってくれ」一言いうと、それまで呆然と突っ立っていた男たちが一斉に動き出しました。戸口を開けるもの、つるはしやスコップを持つもの、懐中電灯で足元を照らすもの、皆それぞれ、何かをしないではいられないのでした。

前哨の男たちが投げていた未練げな言葉や、嘲弄からも察せられるように、食糧を占有している人々というのは、それができなかった人間から凄まじい嫉みと憎しみを買うものです。狡い、不公平だ、もはや自分が物資を手にできなくても、せめて豊かな連中を道連れにしてやりたい。パニックを引き起こすのは欠乏ですが、それをより凶暴化させるのは、こういった醜い負の感情なのです。
タグ:飢餓列島
posted by 河野 at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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