2016年07月22日

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の経済観2

一方、ユダヤ人は古代から住む場所を追われ離散して暮らさざるを得なかったため、物や土地がなくとも稼げるよう、「当人の能力」に経済価値観を置いています。ユダヤ教やキリスト教の聖典である旧約聖書では、申命記などに兄弟(同胞)には利息をつけて金銭を貸してはならないが、異教徒には利子をつけて貸しても良いと書かれています。ユダヤ人はこの教えのもと、同胞間でお金を融通しあいながら、異教徒からは利子を取る金融業を生業とする事で各国の貨幣の両替や為替の技術にも長じていきました。他方、キリスト教は中世を通じて同胞・異教徒を問わず、利子の徴収そのものを完全に禁じ、金融業を”賎業”としてユダヤ人に押し付けました。シェークスピアの「ヴェニスの商人」に出てくる悪役の金貸し、シャイロックもユダヤ人です。

もっとも、13世紀頃からはキリスト教社会でも利子付きの賃借が徐々に認められるようになっていき、16世紀の宗教改革以降、プロテスタント諸国で資本主義が誕生し、さらに産業革命によって経済が活発化するに従い、聖書が定める利子の禁止は空文化していきました。このようにキリスト教は時代を経るにつれ、聖書の教えを現実に則した形に変えていくのが特徴で、例えばイエス・キリストが「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」と説いている通り、確かに本来キリスト教は、富の増大には否定的で、金持ちは全財産を死ぬ前に教会に寄付することで天国に迎えられると考えられ、宗教世界と経済などの世俗世界は区別されていました。中世カトリックの教会が豪華絢爛なのはこうした背景があったからです。

ところが、宗教改革で誕生したプロテスタントのカルヴァン派は、「救済するしないは神が既に決めている」とする「予定説」を唱え、神から与えられた職業(天職)に真面目に取り組み、利益を得られるのは神に認められている証拠であり、その結果得た利益は自堕落に使うのではなく、さらに努力して増やすことが神の御心にかなう行動であるとしました。政治学者のマックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、この考えが資本主義の原動力になっていると論じており、現在におけるアメリカの経済至上主義も、こうしたプロテスタントの経済的な成功を救いの証と見る世界観による、世俗的欲求と宗教的情熱が合わさった経済活動が基盤になっていると見ることができます。同じキリスト教でも宗派によって経済価値観は大きく異なるということです。
タグ:世界史
posted by 河野 at 15:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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