2016年07月15日

覇権の歴史2

オランダに戦争で勝利したことでイギリスが次の覇権国となりました。ポルトガルやオランダは中継貿易国でしたがイギリスは自国で毛織物等を生産し輸出する工業国で、更なる市場を求めて植民地を広げ、輸出の対価として金や銀を獲得していきます。この「重商主義」と呼ばれる植民地政策にフランスも追随し、やがて両国は戦争に発展しますがこれにもイギリスが勝利します。勝敗を分けたのは戦費の調達方法で、フランスはタイユ税という直接税を課して人民を疲弊させましたが、議会政治を確立していたイギリスは1694年に中央銀行であるイングランド銀行を創設し国債を引き受けさせ、更に起業家たちにも低金利で貸し付けを行いました。フランス革命や産業革命にはこうした事情も背景にありました。

産業革命によって大量に綿製品を生産していたイギリスは市場として中国に目をつけますが、周辺国を朝貢国と見なす中国はイギリスに自由貿易を認めませんでした。よって貿易は中国の有利に行われ、英国内で需要のあった茶を輸入しますが、綿製品は思ったほど売れず銀が流出してしまいます。そこでイギリスは植民地のインドで作らせた阿片(アヘン)を密輸して対価として銀を吸い上げる「三角貿易」を行います。清は密輸された阿片を没収、石灰と混ぜて海に廃棄しますが、イギリスは大損害を被ったとしてこれを口実にアヘン戦争を仕掛けます。戦争に敗れた清は市場開放を余儀なくされ、銀が流出して長期デフレに陥ります。農作物価格の下落で農民が困窮し70年後に清朝が滅亡する遠因となります。

19世紀になると、銀の過剰生産によって相対的に金(ゴールド)の価値が上昇していたため、イギリスは他国に貿易代金を金で支払わせる金本位制を始めます。実際に金塊を船でロンドンまで運ぶのは大変なので、各国の商社がロンドンに銀行口座を開設して口座間取引で貿易の決済をするようになり、今日で言う世界の金融センター「シティ・オブ・ロンドン」が生まれます。しかし、イギリスも工業生産能力を19世紀にはアメリカに、20世紀にはドイツにも抜かれることで工業国としての優位性を失って生き、金融立国として生き残りを図ろうとするも、1914年から始まった第1次世界大戦で衰退が決定的となります。
タグ:世界史
posted by 河野 at 14:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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