2015年01月06日

日本維新の会の陰謀51

ではなぜ、この問題が浅田被告との距離を測る試金石になっているのか、事の経緯を振り返っておきます。そもそもは、同和対策事業の一環として1986年に開設された大阪府の第3セクター「松原食肉市場公社」(社長・山口公男元部落解放同盟大阪府連副委員長=当時)が毎年赤字で、大阪府は総額100億円にものぼる補助金を投入してきました。しかし経営状況はいっこうに改善されませんでした。2000年度決算で、累積赤字は16億7000万円にものぼったため、事実上の経営破綻に陥りました。このことを発端に、同公社と羽曳野食肉市場株式会社が整備・統合されたわけですが、こうして02年7月に設立されたのが南大阪食肉市場です。

南大阪食肉市場の設立に際し、大阪府は総額68億円もの財政支援を決定。旧松原食肉市場に対する債権14億円を放棄するとともに、羽曳野市場で荷受けをしていた浅田被告側に、法律用語にもないまったくの造語である「準営業権」を譲渡する名目で、3億2000万ものいわゆる”つかみガネ”を渡しました。そして、新会社の南大阪食肉市場に無利子で25億3900万円を、またしても貸し付けたのです。一方、再建計画では、羽曳野食肉市場内にある「羽曳野市立と畜場」を存続させ、その運営補助金12億円を当初は大阪府7割、羽曳野市3割の割合で負担することになっていました。しかし、大阪府議会が反対したため、大阪府と羽曳野市が折半することになったものの、当時の福谷剛蔵羽曳野市長が反発し、交渉が難航していました。

この問題は、新会社発足後も未解決のままとなり、当時の大阪府環境農林水産部長が02年9月30日夕刻、羽曳野市役所で福谷剛三市長と面談し、説得にあたりました。この席には浅田被告も現れ、約30分間に渡って「いつまでも補助金のことを言わんと、業界全体のことを考えてやってくれ」と福谷市長を説得したと言います。そして翌10月1日、大阪府と羽曳野市は、羽曳野市立と畜場への運営補助金の負担割合を7対3から5対5の折半に変更する確約書を交わしました。浅田被告の鶴の一声で羽曳野市が方針を撤回・変更したわけですが、それほど同被告の影響力は絶大だったのです。

posted by 河野 at 14:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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