2014年11月28日

日本維新の会の陰謀12

公募候補者選考委員会の委員長を務めたのは、橋下氏のブレーンでもある竹中平蔵元総務相です。「維新政治塾」の講師でもあった竹中氏ですが、維新への追い風が止み、自民党の圧勝が予想され始めるやいなや、さっさと橋下氏の元を去って大阪府内の自民党候補の応援演説に駆けつけ、「私は維新とは関係ありません」と挨拶したことが、これまでに報道されています。橋下市長は当初、候補者350人を立て、衆院議席の過半数を獲得すると豪語していましたが、立候補者は結局、小選挙区、比例単独合わせて172人と約半分になりました。この背景には、供託金600万円プラス橋下氏の全国遊説費などの広報費100万円の計700万円の費用がかかる上、見知らぬ選挙区の落下傘候補にされるとかで、公認を得ながら10人近くが公示日直前にドタキャンしたという事情があったと言います。

日本維新の会が12年9月に結党を宣言した直後、支持率が急落し始めた頃のこと、維新の会候補者の間では「赤紙」という言葉が密かに流行っていました。「赤紙」とは、候補者選びが進み、事実上内定者となる大阪での最終合宿への招待状を意味しています。最終選考に残っていた候補者の間には投げやりな空気が漂っていました。小選挙区では近畿を中心に前職が優先され、また橋下ブレーンを務めた府市特別顧問や橋下氏の同級生・友人、果てはグラビアアイドルまでが候補者として優先されていました。そんなことから、候補者の間で「俺たちはどうせ比例の上澄み候補に出されるだけだ」と、厭世気分が広がっていたと言います。

もともと、公募者選びのために開校した「維新政治塾」には全国から3300人を超える応募があり、選ばれた2300人が参加していました。一期生の「維新政治塾」は昨年3月から始まり、計5回開かれました。受講料は3万円。全国から大阪まで自費で通い、1回の講義は約3時間半。参加者によると、500人ずつ1室に押し込まれ、橋下ブレーンの学識者の講義を受けました。その後車座になって感想を言い合いましたが、感想を述べる持ち時間は1〜2分で討論はなかったと言います。一方で、一旦不合格となったみんなの党の候補予定者ら約20人が”政治的配慮”で復活するなど不公平なことも起こり、結局「カネかコネか」と塾生の間に不満の声が上がったと言います。第二期入塾式が開かれたのは12年6月23日で、塾生の人数は900人に絞られていました。その日、全塾生が誓約書を提出させられました。「維新の名誉を傷付ける行為があればクビ」というもので、誰しもが箝口令と受け止めました。橋下氏の元、徹底した秘密主義を貫いているようですが、指導部の方針に対する不満の声がメディアに漏れることも多いです。

維新の会のブレーンは、大阪府の特別顧問でもあります。府民・市民の税金が、その報酬に充てられています。彼らが助言する政策には、本来、府民・市民の目録に沿った公平・公正なものでなければなりません。しかし先の総選挙の直後、橋下氏は「大阪は維新政権だから、特別顧問も維新の政策の方向で進めてもらう」と言い放ちその独裁ぶりは変わりません。橋下氏は衆院選挙の期間中、公務を放り出して運動に専念し、全国を遊説しました。選挙期間中の14日間のうち、大阪市役所に登庁したのはたった1日、それも2時間だけでした。最近、住民団体からその間の給与の返還を求める監査請求を起こされましたが「これからは公務も選挙活動も区別しない」と逆に開き直る始末でした。
posted by 河野 at 12:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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