2016年07月20日

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の経済観1

歴史上で世界の覇権を握ってきた国々は、必ず拠り所となる宗教を持っており、その覇権を支える経済の背景に「宗教的な価値観」があります。三大宗教として並び称される「ユダヤ教」、「キリスト教」、「イスラム教」ですが、イスラム教は発生時期が開祖である預言者ムハンマドがメッカで神の啓示を受けたと言われる610年頃で最も新しいにもかかわらず、約20年後にはアラビア半島をほぼ統一し、程なくしてシリアやエジプト、ペルシャやインド方面まで、勢力を急速に拡大します。

勢力拡大の方法はユダヤ人やアラブ人など異教徒たちとの「聖戦=ジハード」で、コーランにも「アッラーも最後の日も信じようとせず、アッラーと使徒の禁じたものを禁断とせず、また聖典を頂戴した身でありながら真理の宗教を信奉もせぬ、そういう人々に対しては、先方が進んで貢税を差し出し、平身低頭してくるまで、あくまで闘い続けるがよい」という記述があります。この異教徒に対するジハード主義がイスラム過激派の行動原理とされていますが本来は必ずしも異教徒を叩きのめすものではなく、例えば重い人頭税と土地税に苦しんでいたローマ帝国の領民には、イスラム教徒への改宗を条件に人頭税(ジズヤ)を免除し、逆に改宗せずに服従した場合には人頭税を課していました。

こうした方針は「剣か、コーランか、人頭税か」という表現で広く知られ、当時のイスラム教徒は表向きは異教徒保護のためとしながら暴力的な人頭税の徴収を行い、ユダヤ人などは収入の半分を支払わなければならず、むしろ収奪そのものがジハードの目的であり勢力圏を短期間で急拡大する秘訣でした。

この考えは古代のルールを現代に適用しようとする原理主義者の行動に受け継がれ、2014年、過激派組織「イスラム国(IS)」は、イラク北部のモスルに住むキリスト教徒3万5000人に「改宗するか、人頭税を払うか、街を出るか」と迫り、1世帯につき55万イラクディナール(約4万8000円)を払わせて解放したと言います。ISが土地を求めるのも歴史上、彼らの地の砂漠が交易に欠かせなかった事から、今日でもイスラム教には「土地が富を生む」という発想があるためで、現代では石油も出る事から尚更その傾向を強めていると言えます。
タグ:世界史
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2016年07月19日

覇権の歴史3

第1次世界大戦は工業生産力が勝敗を決する総力戦でした。イギリスも多額の戦費を費やし戦争が長引くにつれて財政が苦しくなります。武器も石油も輸出に頼らざるをえず、されど金の流出は避けたかったイギリスは、金本位制を停止してアメリカの大銀行に戦時国債を引き受けてもらいます。当時中立国として各国に武器を輸出していたアメリカは、「世界の工場」と呼ばれ軍需景気に沸いていました。後にアメリカも引き受けた英国債がイギリスの敗北で紙屑になることを恐れる銀行家達の圧力にウィルソン大統領が屈した事で参戦することになります。

武器等の貿易代金の支払いと戦費の償還金という形で多額のお金がニューヨークに流れ、世界の金融の中心はロンドンのシティからニューヨークのウォール街へと移り、アメリカは世界最大の債権国として君臨するようになります。アメリカは第2次世界大戦でも戦場から遠いという地政学的メリットを背景にした武器輸出で隆盛し、反対に欧州の国々が疲弊したことで覇権国としての地位を得ました。金1オンス35ドルとして固定し、米ドルと各国通貨との交換比率を固定する金・米ドル本位制のブレトンウッズ体制を敷き、ドルを基軸通貨とすることにも成功します。戦後、日本や西ドイツが急速な経済復興を遂げられた背景には、この体制下における円安(360円)マルク安が一因としてあります。

しかし、日独との価格競争に敗れたアメリカは70年代に赤字貿易国に転落、80年代には債務国になってしまいます。アメリカは自由貿易体制を維持しつつ自国の産業を守るため、71年に金とドルの交換を停止するニクソンショック、85年に意図的なドル安誘導であるプラザ合意を行いました。こうしたドルの一極支配に挑戦したのが欧州統一通貨のユーロやイギリスのポンド、中国の人民元です。

近年、アメリカもイラク戦争、アフガン戦争、サブプライムローン危機やリーマンショックによって衰退しつつありますが、国際情勢はウクライナにおける欧露対立やイギリスのユーロ離脱、中国のAIIB(アジアインフラ投資銀行)の設立等に見られるように多極体制へと向かっており、もはや覇権国家というシステム自体が無くなろうとしています。
タグ:世界史
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2016年07月15日

覇権の歴史2

オランダに戦争で勝利したことでイギリスが次の覇権国となりました。ポルトガルやオランダは中継貿易国でしたがイギリスは自国で毛織物等を生産し輸出する工業国で、更なる市場を求めて植民地を広げ、輸出の対価として金や銀を獲得していきます。この「重商主義」と呼ばれる植民地政策にフランスも追随し、やがて両国は戦争に発展しますがこれにもイギリスが勝利します。勝敗を分けたのは戦費の調達方法で、フランスはタイユ税という直接税を課して人民を疲弊させましたが、議会政治を確立していたイギリスは1694年に中央銀行であるイングランド銀行を創設し国債を引き受けさせ、更に起業家たちにも低金利で貸し付けを行いました。フランス革命や産業革命にはこうした事情も背景にありました。

産業革命によって大量に綿製品を生産していたイギリスは市場として中国に目をつけますが、周辺国を朝貢国と見なす中国はイギリスに自由貿易を認めませんでした。よって貿易は中国の有利に行われ、英国内で需要のあった茶を輸入しますが、綿製品は思ったほど売れず銀が流出してしまいます。そこでイギリスは植民地のインドで作らせた阿片(アヘン)を密輸して対価として銀を吸い上げる「三角貿易」を行います。清は密輸された阿片を没収、石灰と混ぜて海に廃棄しますが、イギリスは大損害を被ったとしてこれを口実にアヘン戦争を仕掛けます。戦争に敗れた清は市場開放を余儀なくされ、銀が流出して長期デフレに陥ります。農作物価格の下落で農民が困窮し70年後に清朝が滅亡する遠因となります。

19世紀になると、銀の過剰生産によって相対的に金(ゴールド)の価値が上昇していたため、イギリスは他国に貿易代金を金で支払わせる金本位制を始めます。実際に金塊を船でロンドンまで運ぶのは大変なので、各国の商社がロンドンに銀行口座を開設して口座間取引で貿易の決済をするようになり、今日で言う世界の金融センター「シティ・オブ・ロンドン」が生まれます。しかし、イギリスも工業生産能力を19世紀にはアメリカに、20世紀にはドイツにも抜かれることで工業国としての優位性を失って生き、金融立国として生き残りを図ろうとするも、1914年から始まった第1次世界大戦で衰退が決定的となります。
タグ:世界史
posted by 河野 at 14:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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